2020/05/17

[5/17] 下総・常陸、ボッチウルトラ、103km(4)

ここからは、しばし観光イベント、間宮林蔵ゆかりの地めぐり。

間宮林蔵は、このあたり農家出身だそうで、近所ってことで岡堰の建設工事にも参加して、そこで土木だか測量だかの才能を見込まれて、幕臣に取り立てられて、北海道、樺太、千島あたりの調査探検をやったと、封建時代、農民が幕府に取り立てられるって、よっぽど、よーーーーっぽど、才能があったんでしょうねえ。

さらには、土木・測量・算術の才能と、探検の才能とは違いますよね、誰も行ったことのない、この先何があるかわらないところを探検するってさ、よーーーーっぽど、タフじゃないと、できませんよね、食い物があるかもわからないし、ヒグマもいるし、狂暴な先住民がいるかも知れないし、そして、ただ行くだけじゃなくて、土地を調査して、測量して、正確な地図を作る、どうよ、すごいね。

その間宮林蔵が工事に参加してた岡堰、ってことで、岡堰の近くの、川の中の島に間宮林蔵の像が立ってます。島にかかる橋を渡って、ふーん、なるほどなるほど、しかし、重機もない江戸時代に、この暴れ川をせき止める工事をするとは、ってまあ、この時代の人は、重機もないのに、江戸城の石垣を積んだり、利根川の流れを変えたりする人たちなのです、やっちゃうんですよ、大工事を、人力だけで。

その岡堰を渡って、対岸へ、対岸はつくばみらい市、つくばみらい、よくその名前を採用しましたね、つくばみらい市の風景は、一面の田んぼ、麦畑が広がるばかり、間宮林蔵が見てた風景と同じ、とか?

茨城県つくばみらい市上平柳、昔の地名だと、常陸国筑波郡上平柳村、が間宮林蔵の出身地だそうです。

その上平柳に、間宮林蔵の生家と、間宮林蔵記念館があります、が、コロナで閉館中、はいはい、調査済みでございます、囲いごしにその生家を見るのみ、茅葺の小さい平屋建て、しかし、江戸時代の生家が残ってるってホントか?、調べると、1971年に移築復元したと、あーなるほどね、じゃ、生家はここじゃないのか、どこから移築したのか、復元のもとはホントに間宮林蔵の生家なのか、よくわかりません。

間宮林蔵の出身地、上平柳、小貝川のほとりの農家の集落、人の気配があまりなく、静か、人も通らず、クルマも1台通ったきり。間宮林蔵の出身地だから、住んでるひと間宮だらけかと思ったら、表札見たらそうでもなかった、唯一発見したのは、「間宮みち子」つくばみらい市市議会議員、日本共産党、おっとー、もしかしてそうなのか。

すぐ近くのお寺に、間宮林蔵の墓があるらしい、墓とか特に興味ないけど、ここまで来たら、行っときましょうよ、心残りのないように、ひと気のない農村の道を進み、ひと気のないお寺へ、失礼しまーす、おお、ありました、すんごい大きい顕彰碑と、その裏にすんごい小さいお墓が、ああなるほどとしばし眺めて、終わり、よし、間宮林蔵ゆかりの地めぐりはここまでだ、旅を続けるのだ。

(つづく)

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